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2016年12月26日月曜日「ホームズの推理法」
 シャーロック・ホームズは今でも超がつくくらい人気のある探偵である。ミステリを読まない人でもその名を聞いたことがあるに違いない。あの鹿撃ち帽とくわえたパイプそしてマントのシルエットだけでホームズとわかるくらい容姿も有名である。
 
 そのホームズが活躍する長編「四つの署名」の冒頭で友人であり、物語の語り手となっているワトソンに彼流の推理を披露する場面がある。
 
 その朝、ホームズにも誰にも行き先を告げず、同居人のワトソンは外出していったが、帰ってきたワトソンにホームズは
 「君がウィグモア街の郵便局に行ったのことは観察でわかる。しかし、君がそこで電報を打ったということを知るのは推理だ」と言う。
 ワトソンは仰天した。
 「その通りだ!どちらもだが、私はそのことを誰にも言ってないし、朝いきなり気がついて電報を打ってきたのだ。君がどうやってそれを知ったのか見当もつかない」
 ホームズはワトソンの靴に小さい赤土がついているのを指摘して言った。
「今、ウィグモア街の郵便局の前でちょうど敷石を剥がして道を直しており、土がむきだしだ。このあたりであのような赤土のある場所は僕の知る限り他にない。ここまでが観察だ。」「じゃ、どうして僕が電報を打ったことがわかったんだ?」
「僕は君が手紙を書いていなかったことは知っている。君の机の中に切手やはがきの束があることも知っている。それじゃ、何をしに郵便局へ行ったか。電報を打つ以外に合理的な結論に至らない。他のありえないことを取り除いていけばたった一つの真実にたどり着ける。」
 
 まあ、この非現実感満載の自信満々な(イヤミな)探偵だがそこがまさに彼の魅力なんですな。だが、友人だというのに彼の机の中までご存じとは、あまり感心しない性癖だなと私は思うが・・・。よくこんな空恐ろしい人間とワトソン君は同居しているものだ。
 この後、その推理法にいぶかしげなワトソンはこの懐中時計からなにがわかるかい、とホームズにチャレンジするが、ホームズはさらに込み入った推理を披露してワトソン君を打ちのめしていた。それは作品を読んでいただくとして、しかし、まあ、現代の日本の郵便局ならばさらに「かんぽ」も「ゆうちょ」もあるので、ワトソン君は上の選択肢以外でも振り込みかお金を下ろしたなども候補になるし、まあ今時デンポーは郵便局でなかろうというものだ。
 
 そしてもし、現代にタイムスリップしたワトソン君ならホームズが度肝を抜くような推理をしようとも、

  「ホームズ、人が悪いな。僕にGPSと盗聴器をつけたろう。それなら僕がどこへ何しに行ったかわかるというものだ」と切り返しただろう。
 
 さて、今日はそんな話である。

 私はいつぞやも記したがこの時期、大学で講義を担当している単元が少々ある。そのうちの一つは「急性腹症」だ。
 実は、急性腹症という病気は存在しない。私はまずその概念を学生さん達に伝えるためにのっけからシェークスピアのハムレットの有名な語句を引用している。

 「To be, or not to be, that is the question(生きるべきか、死すべきか、それが問題だ)」

 これをもじって「手術するべきか、せずに保存的に見るべきか、それが問題だ・・・という状況を急性腹症と言います。」と紹介するのだ。
 
 文字通り急激に腹痛を生じる疾患の中、救命のために緊急手術が必要な病態を総称して「急性腹症」と呼ぶ。
 当然、せずともよい疾患を開腹手術してはいけないし、しなくてはならない患者を放置することもまた許されない。その腹部の中で起こっている現象をシャーロック・ホームズのように「観察と推理」で見抜くのが名探偵ならぬ名医である証しというわけである。
 警察と同じ証拠を握っていながら、その事実を組み立て推理によって警察と全く異なる合理的な解決に至る、まるで皆が誤診する中、ただ一人隠された病気をあばいていくなんて「かっこいい」と思いませんか?
(私失敗しないので、とでも言えたらもっとかっこいいが・・・)
 
 腹部外科の先人達は急性腹症の際、患者に現れる危険なサインを詳細に観察し、その理由や原理を考えてまとめ、実際に開腹した時の所見とあわせて、その診察法を学問の域までに押し上げた。それが診察の中の「現症をとる」という行為である。
 探偵や警察が行う現場に残された証拠集めと同じだ。我々は自分の手(触診)と耳(聴診器)で証拠をひたすら集めていく。
 
 教える方の私から見たら、外科の醍醐味というのは手術を実際に施行するということよりむしろこういうところにあるのではないかと密か(というかおおっぴらに)に思っている。
 私がミステリ(それも本格もの)を好んで読むのも根底では推理の過程が診断へいたる医療の思考がつながっているからだろうなと勝手に分析している。

 講義内容は割愛するが、私もこの単元を担当してからかなりの年月が経っており、当然毎年同じ講義を繰り返すわけにはいかない。最近の知見である文献を調べ、それらを組み込みながら講義に使うスライドも少しずつ改変し望んでいる。
 その結果、進歩を義務づけられている医学は私の好きだった古典的で牧歌的な「昭和末期に教育を受けた」外科学とはこの急性腹症のジャンルでは思いきり隔たってきてしまった。
 
 悲しいことに私が力を入れて講義で熱く語る、「ホームズ」のような観察眼でお腹の中を洞察する手段はすたれたとは言わないが、修練や微妙な手の感覚を必要としなくなってきたのだ。
 
 たとえば、「波動」という実に微妙な腹部の診察手技がある。名前を聞くとまるで、拳法かという感じだが(・・・それは波動拳だろ)
 
 どういうことかというと患者のお腹の一方に医師の手を添えて、反対のお腹に医師の手を添える。患者さんのお腹を挟む格好になるがそして一方の手で軽くお腹を揺するのだ。   
 その際反対の手に「波動」という水が動くようなアタリを感じたら、腹水がたまっている徴候だということになる。あたかも、水の入った麻袋を触っている感触のようなものだが、医学生や研修医は波動を感じるってどうなんだ?わからないってことになる。
 これは実際に腹水のたまった患者さんを触っていないとわからないし、まして口や文で表現するのは難しい。
 
 しかし、その波動なんぞの極意を全く知らなくても、現代の研修医は「超音波(エコー)」をあてればほぼ100%腹水の存在を証明できる。波動を感知しないほどの骨盤の下にたまった微量の腹水もエコーでは見逃さない。痛がっている患者のお腹を何度も揺らすくらいなら、さっさとエコーあてろ、ということも最近ではまた真実でもある。
 
 もう一つ紹介するが「LLBの消失」というその名も業界っぽい手技・診断法がある。
 
 LLBとはlung liver border=肺肝境界の頭文字だ。そして、打診といういかにもお医者さんらしい手技は皆さんもご存じでしょう。人差し指と中指を軽く皮膚に添えて反対の指でスナップをきかして槌のように「トントン」と叩くあれである。もともとスイカの熟れ具合を確かめるものではないが、その壁の向こうに何があるか打診して推測する手段だ。LLBはこの打診を活用する手技だ。

 LLBは実際に健康な人を打診するとはっきりわかる。
 
 肺は空気をたくさん含んでおり、一方肝臓は血液のかたまりだ。胸から右の肋骨に沿って少しずつ打診点をお腹の方へ下ろしていくと、ある個所で明らかに音が変わる。空気を含んだ肺から血液の豊富な肝臓に移る点、これがLLB(肺と肝臓の境界点)だ。カルテには「LLB第6肋間」などと記載する。
 
 LLBのラインが標準より胸の方まで上がっていれば、肝臓が大きいのではないか、と推察できるし、下降していたら肺に空気が入りすぎて膨張しているのでは=肺気腫の疑い、ということも言える。かつてはこの打診の精度を上げるため、薄い板の裏に島状に切り抜いた不定形の厚紙を張り付けて、その板を打診して島状の厚紙をトレースできた、というレジェンド級の打診マスターDrもいたらしい。
 
 そういえば、ブラック・ジャック(手塚治虫氏)でも、あることで密室に閉じこめられたB・Jが壁を打診して、シャッターの電気を供給しているケーブルが埋め込まれている個所を探し出し、それを切断し脱出したという話もあった気がする。こうなれば打診は自分の命も救う手技であろう。(大げさか)
 
 さて、脱線してしまった。
 LLBに戻るが、その「LLBが消失する」というケースが急性腹症でありうるのだ。お腹も胃や腸にガスがたまれば肺と同じような「鼓」を叩いたような音が出る。ただし、右上腹部に限っては、肝臓が鎮座しているため、どんなにお腹が張っても打診で空気音は聞かれない。例外があって、胃や腸にたまっていたガスが腹腔に漏れ出た場合はあおむけに寝た状態だと肝臓の前にガスが移動する。すると、打診で肺と同じような音が連続して聞かれ、この結果「LLBの消失」となる。ガスが漏れる状態というのは胃潰瘍や十二指腸潰瘍の穴があいた(穿孔と呼んでいる)ということが多い。また、大腸だと癌の穿孔なども考えられる、いずれも急性腹症であり、重篤な状態だ。
 これをブラック・ジャックのように指一本で診断できたら、すごいではないか!
 と喜ぶのは昭和の香りの我々外科医なのであろう。
 
 LLBが消失するほどの所見が取れ、かつ患者が立てる状態なら、健康診断でよく撮る胸のレントゲンを一枚とればことが足りる。右の横隔膜の下に空気のたまった層が三日月のように抜けてくっきりと映り一目瞭然である。これをfree air sign(フリー・エア・サイン)といい、胃腸に穴があいた際の重要なレントゲン写真像である。この一枚の写真があれば、どの救急病院でも受け入れてくれるだろうと言える客観性に優れたサインである。LLBが消失しました!といったところで残念ながら「それじゃレントゲン撮ってみてください」と言われるのが関の山だ。
 
 患者の状況を聞いて(問診)観察して(視診)詳細に所見を取り(触診・打診)同時にベッドサイドでバイタルサインをとる。(呼吸数・脈拍数・体温・血圧)
 これらは急性腹症かどうかも問わず診察のイロハであることは間違いない。しかし、それをすればするほど、そこで誤った判断を下すこともありうるのだ。
 
 実は急性腹症であってもほんの少量のガスが漏れた際はLLBの消失もフリー・エアも見られないことがある。
 
 十二指腸は体の右側に位置しており、肝臓に近く、また周辺にとぐろを巻いている腸や大腸がないため漏れると大量のガスがたまり、すぐフリー・エアやLLBの消失が出現する。しかし、体の最下部である骨盤の中の直腸やS状結腸で小さな穴があいた場合は漏れる量にもよるが、肝臓の上はそこから距離が遠い上、漏れたガスが腸と腸の隙間に分散して泡状に張り付くとレントゲンでも写らず、もちろんLLBなども正常である。だからといって、かえって予断を許さないのは大腸は肛門に近づくほど細菌量が増え、それが漏れた場合の腹膜炎はあっという間に重篤になり生命の危険度は極めて高い。LLBがはっきりしているので、穿孔はないな、と判断すると思いっきり誤診する可能性もある。
 
 実際、ホームズのような観察と推理だけでもし診断を進めるとすると、残念なことだが正診にたどり着く確率は低くなってしまうのだ。
 
 俗にいう盲腸、すなわち虫垂炎についての研究論文がある。
 その診断に至ったまでどのような方法で診断にたどり着いたかの研究だ。
 まず、臨床所見、レントゲン、血液検査のいわゆる古典的アプローチで正診できた確率は62%、実に1/3ほどは「誤診した」ことになる。(虫垂炎と診断して、実際虫垂炎だった例が62%、残りは虫垂炎と診断して、虫垂炎でなかった例)その反対が82%だった。
 反対とは虫垂炎でない、と診断してその通り虫垂炎でなかった例で、残りの18%は虫垂炎でないと診断したのに、虫垂炎であったといういわゆる「見逃した」ことになる。
  結論を言うと、これに加え、超音波検査を施行すると正診精度が格段に上がり、そしてなんと「MDCT」を加えると100%の診断率というから驚きだ。
 誤診も見逃しもない、というなら、虫垂炎を少しでも疑ったら、MDCTを撮影しないといけないという時代になっているかもしれない。
 
 MDCTとはなんだ?という方も多かろう。
 
 それはマルチ・ディテクターCTの略である。CTにおいて検出器(ディテクター)が2個以上あるものを指す。
 もともとCTの検出器は一つだけだった。その機械が1回転すると一列の画像が得られていた。するとピンポイントのスライス像ができあがる。このモノクロ写真がよくドラマでもお目にかかる、体を輪切りにした九つ切りのフィルムだ。私たちはそれを順番に見て、病変を頭の中で立体化させてきた。
 しかし、それがマルチCTになると1回転で複数の画像をスキャンすることができ、その複数の画像を重ね合わすと3D画像になるというスグレモノだ。片目では平べったく見え、両目で見た像が立体化することや3Dシネマの理屈でも想像できるだろう。
 このため、検査時に鼓動を止めることのできなかった心臓の詳しい3D画像まであっという間にできてしまう。色つけも陰影もお手の物だ。
 人間の眼の網膜にあたるCTの検出器は多ければ多いほど詳細な画像になる。最新鋭のMDCTは256列というからさらに驚きである。その画像はまるでお腹の中を見てそのままスケッチしたというくらいの見事さだ。こうなると、腹部の下手な診察をしているより、お腹の痛がる患者は何が何でもMDCTに患者を突っ込んで、それから診察・診断などという本末転倒なことになってしまうかもしれない。
 
 古い外科医の私はこのような事実を突きつけられても、急性腹症の講義の前半の大部分は古典的な診察法をじっくりと話している。いくらMDCTがあるとは言え、ものを考えない医療者など現時点では必要ないからだ。
 講義の後半になって、「実は最近はMDCTというものがあって・・・」とその驚くべき画像を披露するのだが、それじゃ今までのホームズの推理やスイカの熟れ具合の話やはなんだったのか、という顔をしている学生もいることは否めない。

 だが、万能と思われるMDCTにも欠点はある。

 MDCTはレントゲン撮影の一つだから、少なからず放射線被爆することは事実である。技術革新により、かつてのCTより、被爆量が減っていることは確かだが、健診でよく撮影する胸や腹部の直接レントゲン撮影とは比べものにならないくらいの放射線量だ。(胸レントゲン200回で一回のCTと同等)生殖器をはじめとしてやはり敏感な臓器によっては影響が出る。また、浴びた放射線は蓄積するから、腹部CTを何度も撮影することは厳禁であると考えなくてはならない。ましてや成長期の乳児・幼児には慎重にせざるをえない。
 さらに、医療保険の充実し、技術も進んでいる日本では気軽にCTを撮ることが多い。
 純粋に回数で比較すると英国の7倍、米国の1.5倍日本人はCTを撮影している。
 これでなんでもかんでもMDCTなどという羽目外しを始めたら、のちのち先進国の中、日本だけ医療による放射線被曝発がんが増えたと言われてもおかしくない。
 
 いつかも記したが、医療経済という概念も必要だ。MDCTは正診にたどり着く伝家の宝刀である。だが、高額な検査料がかかるから、ここぞというときに抜くべきで、病院が儲けるために検査することは許されない。MDCTを持っている病院あちこちでそんなことを始めたら、医療費が高騰してあっというまに医療保険は崩壊してしまうだろう。だからこそ、この剣を抜くべきか、抜くべきでないかふるいにかける医師の眼が必要なのでは?と思うのだ。
 
 ホームズに戻るが、彼が犯人を追跡するとき「ああ、ワトソン君の言うようにGPSをつけておいたらすぐ捕まえるのに」と嘆いたらその頭脳の魅力も台無しだろう。
 
 MDCTなどは自分の診断の裏付けをとるだけに施行したいのはやまやまだが、そんなのは必要なし、とかっこつけて誤診などしては目も当てられないから悩ましい。さらに最近は医療を取り巻く環境は厳しく、たとえ正確な診断にたどり着いたとしても手術をすべきタイミングが遅れただけで患者サイドに訴えられることもある。

 それにしても、そのうち医師などは必要なくなってしまうのでは?と電子頭脳の恐るべき進化に恐々としている。
 しかし、場末の医療者のもとに一台ずつのMDCTやディープ・ラーニングするPC(A.I搭載の自分で勉強してしまう)などはあるわけないから、私も「MDCTがあったら診断できるのに」と医療者として恥ずかしいセリフを吐かなくてもいいように、まだまだスイカの熟れ具合を確かめている。

 さて、今年は暮れになっていきなりインフルエンザとウイルス性胃腸炎の大流行をむかえている。忙しい年の瀬にこのような疫病にかからないよう予防対策をしっかりお願いいたします。皆様、それではよいお年を。

2016年10月16日日曜日「猛毒・ジハイドロゲン・モノオキサイド」
一酸化二水素という危険物質をご存知でしょうか?

 またの名をジハイドロゲン・モノオキサイドと呼ばれる「猛毒」である。

 皮膚につけば重篤なやけどの原因となり、多くの材料の腐食を進行させ、水酸の一種で酸性雨の主成分でもある。末期癌患者の悪性腫瘍の中からにも多量検出されている。人間が少量でも吸引すると死に至るほどの物質だが、原子力発電所では大量に使用され、発泡スチロールの製造には不可欠で、防虫剤の散布にも用いられ、野菜などは洗浄後もこの物質が残ると言われている。これほど危険な物質だが安価なため、世界中で規制の動きはない。あなたはこの物質を規制すべきだと考えるでしょうか?
 
 1997年アメリカの中学生がこの問題を提起し、大人に50人のアンケートを行ったところ、43人が「規制すべき」と即答、6人が「どちらとも言えない」そして、わずか1人だけ、反対に回った。
 
 反対の理由はその人のみ、このジハイドロゲン・モノオキサイドが「水」であると見抜いたからだ。

 一酸化二水素・・・化学式ではH2Oである。それをジハイドロゲン・・・(一酸化二水素の英語表記)などと呼べばどれだけ恐ろしい物質に聞こえるか。
 
 もう一度上に掲げたその「恐ろしい」定義を見直して、吟味して欲しい。よく読んでみると「水」とわかる。そうとわかれば、なぁんだと思わず吹き出してしまうでしょう。私も「酸性雨の主成分」というところは巧妙だな、と感心してしまった。
 でも、やけどは水じゃなくてお湯だろう、というツッコミもできるが、どちらもH2Oであることには変わりない。
 
 そしてこのことを受け2013年、エイプリルフールのジョークとしてフロリダ州のあるラジオ局が「猛毒の一酸化二水素が水道管の中に大量に含まれている!」と報道し、一酸化二水素が先の定義のような猛毒であるとあおったため、不安になった聴取者たちの問い合わせが水道局に殺到。その混乱の責任をとって、DJは謹慎処分になったそうだ。エイプリルフールが常態化している欧米でも、羽目をはずしうっかりするとこのようなことが起こる。実にメディアの力は恐ろしい。
 
 どんな大切な物質でも、無害に見えるものも、ある一面を取り出してネガティブキャンペーンを張れば、なんとでもおとしめることができ、悪役にできる典型例である。
 
 週刊誌(週刊現代)で今年の夏、延々3ヶ月にわたる服薬ネガティブキャンペーンが張られた。
 そこでは、高血圧・コレステロール・糖尿病の薬は飲んではいけない!と大々的にぶち上げていた。
 買うのもばかばかしいので、立ち読みとネットでPDFになっていたのでざっと読んでみたが、嘘を書いているわけではないが、ははぁ、ジハイドロゲン・モノオキサイドっぽい論拠ではあるなと、感じた。週刊誌であげられた副作用は稀なものでも、これを服用するとあたかもすべての人に現れるように読める。
 
 受けてはいけない手術もずらずら書いているが、ここに至ってはここまで外科医をディスってどうするんだと思わざるを得ない。記事を担当した記者と編集長、この人たちが何らかの病気にかかって外科治療を提案されたら、どうするんだろう?読者には恐怖をあおっておいて、いざ自分がインフォームドコンセントされたら、ちゃっかり「手術よろしくお願いします」なんて頭下げそうだが。
 
 手術だろうが薬だろうが、ある負の一面を針小棒大に言えば、誰でも恐ろしくて手が出せなくなるに違いない。あなたも先の定義の物質と言われ、飲んでいいよとコップになみなみと注がれたらたら飲めないでしょう。
 
 週刊誌でもやり玉にあげられたスタチン系というコレステロール値を下げる薬があるが、よく知られたものに筋肉が溶けてしまうという恐ろしい副作用が起こることがある。横紋筋融解症と呼ばれるものだが、これを見出しで大々的にぶち上げ「筋肉が溶ける!床ずれが治らなくなる!」などと書いてある。
 
 その横紋筋融解症だが、スタチンを飲んで1万例に1人でるかどうかの副作用である。日本ではこれだけスタチン系の薬を服用している人が多いが、この副作用で命を落とした人はいない。アメリカの副作用報告でも100万人に0.15人の死亡確率と言っている。この確率は660万人に1人のことである。
 こうなると副作用と言うより、患者さんの特異体質といってもいいレベルでもある。
 そもそも、この恐ろしい副作用は抗生剤、筋弛緩剤、降圧剤、消炎鎮痛剤、潰瘍治療薬などにも発症が認められ、スタチンだけ取り上げて言うのは不公平ではないか。
 
 またスタチンを服用すると糖尿病発生の確率が上がると一行だけ記しているが、これはフィンランドで発表された2008年の研究論文に依拠している。
 もちろんそのリスクは考えられるが、全く反対の結果(糖尿病の発症を抑制した)という2001年の論文もある。
 どちらを信用してよいかだが、賛否両論の中、いろいろなスタチンに関する論文を総合判断すると、スタチンは用量が多くなれば多くなるほど糖尿病の新規発症確率が上がるという結論は動かせないようである。それも日本では通常使われないほどの服用量だ。日本での常用量を飲んだくらいでは糖尿の発症率にあまり差がなかった研究はいくつか散見される。
 
 これは高容量服用しなければ、コレステロールをコントロールできないような人たちはもともと遺伝子的にエネルギーを効率よく動かす何らかの代謝異常を有している人たちともいいかえることができる。すると、スタチンを飲んでいるうちに糖尿病を自然発症したかもしれない(飲んでも飲まなくても)グループも含まれるので、スタチンの副作用と認定する解釈は難しい。
 
 さらに言えば、コレステロールを下げる薬なのに糖尿病発症をその善し悪しの結論としていいかどうかも議論されている。スタチンは服用すると心筋梗塞や脳梗塞の発症を抑える薬と理解されているからだ。そうはいっても当然、いろいろな副反応はないに越したことはないが。
 
 2010年発表された論文はメタ解析(それまで発表された信用できる論文を複数吟味し、総合して統計的処理をして結論するというもの。大規模ランダム前向き試験=ランク1についで信用がおけるとされる=ランク2)を行っている。
 そこでは、確率を言うと255人の服用者に4年間スタチンを服用させると1人糖尿病が発生する確率だが、同時に5.4人の心筋梗塞・脳梗塞発生を減らすという結論に達した。今のところコンセンサスを得ているのはこのレビューで、臨床医もそのエビデンスに基づいて診療にあたっている。
 たった一つの極端な論文(46%糖尿病が増えた!という2008年発)をもって記事を書くというその手法はまるで「がんと戦うな」理論にそっくりである。
 
 話はかわるが10月はノーベル賞月間である。毎年自然科学分野での日本人の受賞ラッシュが続いているので、むしろ楽しみになった月でもある。

 余談だがノーベル文学賞のボブ・ディラン受賞にはたまげてしまった。文学を詩歌まで解釈を拡げたどころかミュージシャンまでということになるとは小説家の受賞が難しくなってきたということでもあろうか。ガンバレ、ハルキと毎年エールだけは送るのだが、あすなろ物語にならなければいいが・・・閑話休題。
 
 さて、今年ノーベル医学生理学賞に東工大栄誉教授・大隅良典氏がオートファジーの解明で受賞した。
 日本の基礎医学の研究成果が世界的に認められ大変喜ばしいことである。
 以前のオワンクラゲの緑色発光で受賞した下村脩博士の化学賞、土のカビから発見した疥癬治療薬での医学賞を受賞した大村智博士。この博士達もコツコツと一つのことをじっくりと突き詰めていった果ての受賞である。
 今年は顕微鏡でひたすら細胞を観察していたという大隅教授。この姿勢こそがノーベル賞まで届く唯一の道なのだろう。
 
 そして毎年、この分野では日本人予想受賞者のリストがあげられているが、常に上位にランキングされているのがノーベル賞の登竜門とされているガードナー国際賞とラスカー賞受賞者達だ。ノーベル医学生理学賞と同じ趣旨で医学に素晴らしい貢献をしたと財団が授与するものだ。
 利根川進、山中伸弥、大隅良典の三氏はいずれもダブル受賞後、数年足らずでノーベル賞に届いた。
 そのラスカー賞を2008年受賞し、毎年のノーベル予想でも必ずあげられるのが東京農工大栄誉教授・遠藤章氏である。
 
 遠藤氏の業績こそは今回さんざんクサされたコレステロール降下薬・スタチンを世界で初めて開発したことだ。
 食生活や人種差もあるだろうが日本より心筋梗塞や脳梗塞の死に至る心血管系疾患に苦しむ米国では遠藤氏はわが日本より有名で、神のごとく祭り上げられている。
 スタチンはペニシリンに並ぶ「奇跡の薬」と賞賛され、2012年には日本人では初めて米国の「発明家殿堂」入りを果たした。
 
 米国のみならず全世界で4000万人以上毎日服用し、その効果もきちんと認識されていることを週刊誌は一文たりとも記事に入れずに負の要素のみあげつらう。
 そんなことをすれば、一酸化二水素のように49/50人の人が危険な薬だと認識するに違いない。問題は引っ込み思案やビビりの人たちで、今までは飲んでいたのだが、記事を読んだが怖くなり、医師に「叱られる」と思って相談することができず、自主的に服用・通院をやめるケースだ。
 
 これらの人々が心筋梗塞や脳梗塞になって倒れても、記者や編集長は知ったこっちゃないんでしょうな。今時、医師は叱ったりはしません。問われれば説明はするし、誤解を解くことはしますが、それから先のこと、飲むか止めるかは自己責任である。禁煙も勧めるが、できないからと言って私は叱ったりは絶対にしない。
 
 私は遠藤氏の代わりに怒っているのではなく、記事の話のもってきかたに憤っているからこの一文を記した。
 
 それは「○○は危険な薬、飲む必要がない」→「それではなぜ医師は処方するのか」→「処方しないと儲からないからだ」という論法で特集を締めくくっていたからだ。外科医に対しては「処方」を「手術」と差し替えても同じだ。
 
 これ、名誉毀損としかいいようがない。私らは高い薬を処方したからと言って何のキックバックもないし、こういう目で見ている人がまだまだ多いとなると心底げっそりしている。
 
 医師でもさまざまな考えを持って診療にあたっているので、記事にあうコメントをお持ちのDrもいらっしゃるであろうが、それを切り貼りして、一酸化二水素のような毒物に仕立て上げる。
 そしてそれを処方する医師を不勉強なデジタル医師(検査結果で基準値を越えたら薬を飲め飲めいう)か、人の弱みにつけこんで、信者にさせ薬で縛りつけるあたかも、金の亡者の新興宗教の教祖のようなものだとイメージ操作をする。
 
 今はこれほどの情報社会だ。口コミだって電子機器を介してあっという間に拡散する。処方がアヤシい医師は必ず淘汰されると私は思うので、こんな記事は先にあげたように、心優しい人の不安をかき立てるだけのシロモノで全く社会のためになっていない。
 不倫だの汚職だの個人の非倫理を暴くのが週刊誌の仕事と思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
 
 もし、遠藤氏がノーベル賞を受賞したら、それでも「ノーベル賞は取っても、危険な薬、飲んではいけない薬」と特集を組むのだろうか。それくらいの覚悟があるのなら、その意気やよし、とかえって感心するのだが。

2016年08月26日金曜日「銀メダルこそ誇れ」
 
 とにかく、暑いだけではなく、リオ五輪のおかげ(様)で眠った気がしない。オリンピック観戦においては時差が12時間ということなので毎日時差ボケになっているようなものである。まあ、私が見ようが見まいが、選手たちの成績にこれっぽっちも影響することはないのだろうが、明け方ごそごそ起き出して、頼まれてもないのについついTVをつけてしまう。決勝の試合などを見ているとこぶしに力が入って、筋肉痛かつ一日中疲れが取れない。(何やってんだ)
 
 それにしても、日本選手の活躍ぶりには驚かせる。賞賛に値する、などと一言で片付けてしまっては失礼に当たろう。獲得メダル数は史上最多。今までは柔道・レスリング・水泳などメダリストに偏りが見られていたが、今回は多岐にわたる競技でである。スポーツ界の実力の底上げが見て取れる。
 4年に一度の夢の舞台、そこに立つまでの間、選手たちがどれほどの努力を積み重ねてきたことか、おそらく私には想像もつかないくらいの苦行であったに違いない。この満ち足りた生活が保障されてハングリー精神がかけた日本で体格差を跳ね返すその成績の影には血と汗の結晶がそこにあったはずだ。
 かつてはその舞台に立つことが目標で「参加することに意義がある」などとうそぶいていたものだが、私たち強欲な国民はいつしか選手にメダルはおろか最も高い表彰台とたった一つだけ演奏される国歌をねだるようになった。まあ、人間というものは欲が深い生き物ですな(笑)

 古代中国に項羽(こう・う BC232〜BC202)という「戦えば必ず勝つ」将軍がいた。まるで、軍神が地上に舞い降りたような武将だった。敵が多かろうが少なかろうが、常に先頭に立って、蹴散らし、鬼神の如しと恐れられた。おそらく集団戦闘の天才と言っていい。自分の部下が負けると、そっちへ転戦し、大勝して風のように去って行く。
 逆に項羽が相手陣にいない、とわかるとまたぞろちょっかいを出し優勢を維持するのだが、一度でも「項王来る!(シェン・ワン・ライ)」と伝令が叫ぶと、すべての兵士がなだれをうって逃げ出す有様。
 こうして項羽は楚国の覇王として中国全土をほぼ統一しかけた。その強大な項羽に待ったをかけたのが辺境(現在の四川省)の漢王・劉邦(りゅう・ほう BC256〜BC195)だった。劉邦は中国中央に出て、反楚反項羽同盟を作るが、あっけなく項羽に各個撃破され窮地に陥る。
 
 しかし、どんなに強くても項羽は一人だから、あっちこっちでもぐら叩きを続けているうちに、次第に活動範囲が狭まってくる。また、漢王・劉邦陣営の政治による切り崩しやゲリラ化した項羽大包囲網を作られ、さすがの項羽も戦争で円運動を描いて勝っても勝っても席の温まる暇もない。項羽が闘いの先頭に立つと大勝する戦いぶりなのだが、次第に領土が狭くなってくる。
 
 それでも、項羽は相手の総帥・劉邦を直接対決で完勝し、ぎりぎりまで追いつめ、必勝の形で取り囲んだ。
 劉邦の命運は尽きたかに見えたが、項羽の兵糧が尽き、和平を余儀なくされ、天下まであと一歩の項羽は不本意だが劉邦と不戦条約を締結し、本拠地に帰還することになった。
 この時、劉邦の参謀・張良(ちょう・りょう ?〜BC186)は和議の破約を勧める。
 「項羽が弱っており、油断しているこの時しか倒すことはできません」
 と劉邦に進言する。
 あまりに卑怯な振る舞いに躊躇する劉邦。大いに迷っていたが、もう一人の大策士・陳平も破約に同意見と知ると劉邦は決意した。
 
 項羽は和議を破って背後を追撃してきた劉邦に襲われた。激怒した項羽だが、さすがの項羽軍兵士も飢えには勝てない。この不意打ちの一戦で初めて敗れ項羽は垓下(がい・か)に追いつめられる。強いがゆえにおのれの力のみ信じ、誰の協力も必要としなかった項羽は自分が何故敗れたか最後までわからなかった。
 
 この時、城にこもる項羽を取り囲んでいる劉邦の兵たちが項羽の故郷の楚の歌を歌っているのを聴いた。
 「劉邦はすでにわが楚を征服したのか、敵に何と楚人の多いことか」
 と嘆き、ついに項羽は経験したことのなかった敗北を悟る。これが「四面楚歌」の語源である。
 
 項羽は戦闘ではただの一度も負けたことはなかった。戦争は一人でするものではないから、その戦術の巧みさや個人の戦闘力に加え、将として配下の兵の力を倍加するカリスマ性をも備えていたに違いない。いや倍加どころか10倍の兵力差を覆して壊滅させたことも何度もある。項羽が負ける日が来るとは敵味方双方誰も思っていなかったに違いない。
 
 若い項王は当時30歳、対して漢王・劉邦は54歳。劉邦は年齢差もあり「項羽に勝てるわけがない」、と心底思っていたのだ。
 しかし、劉邦の参謀、張良は項羽の弱点を見抜き、戦闘の力を封じ、策謀によって項羽の左右の配下をもぎとり、最後に隙を見せた項羽を破り遂に劉邦をして勝たしめた。
 劉邦は天下統一し、漢の高祖となる。
 敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず、張良の戦略は孫子の兵法そのものであった。相手を研究し尽くす、勝利への近道であり、また王道でもあろう。

 女子レスリングの絶対女王、吉田沙保里選手もここまでのキャリアでただの一度の敗戦もなかった。
 世界大会の16連覇。個人戦206勝0敗。
 項羽と同じような、気が遠くなるほどの絶対強者だ。霊長類最強との賛辞(?)は言い得て妙であろう。
 
 誰もが敗れる日はもう来ることなく、4連覇を目指すリオ・オリンピックで勝利し、不敗伝説を完成させて引退するだろう、と見ていた。かくいう私も金メダルまでのあと一つの決勝戦はそのつもりで気軽に応援観戦していた。
 
 だが、ふたを開けると、吉田選手が完敗といっていい試合ぶり。気負いやプレッシャーにつぶされたのか、と一瞬思ったが、そんなメンタルの弱い選手ならこの16年勝ち続けることなんぞは絶対にできない。
 
 吉田選手は終了後放心状態でマットに突っ伏して、インタビューでは銀メダルでごめんなさい、と号泣し私はあまりに気の毒すぎて見ていられなかった。
 この時、初めて国民も気づいたことだろう。
 今まで、何度も頂点に立ち栄光に満たされていた選手をたった一度、負けたことで大泣きさせるほど、ここまで彼女を追いつめていたのか、と。
 勝って当たり前と言われる選手に対する国民のすさまじいほどの期待と重圧は本人も気づかないほど文字通り手足を縛っていたに違いない。彼女も性格が真面目で一途なのだろう。敗戦後、コーチだった亡き父に叱られる、と家族の前で泣いた。
 よくやったと言いこそすれ、叱るなんてそんなはずはないことは彼女以外誰一人思ってもいなかったはずだ。
 
 吉田選手の最大の武器の高速タックルは研究され封じられ、組み手もつぶされ、守備に徹した相手選手にいらついたのか、仕掛けた強引な投げもカウンターを食ってポイントは逆転された。若いのに吉田を圧倒したその選手は優位に立ったその後は焦らず、まるで伊調馨選手が乗り移ったかのような盤石な守備で吉田女王を倒した。
 
 吉田選手が決して努力を怠ったわけではないことは、他の階級で金メダルを取った後輩たちの
 「吉田さんはだれよりも練習していた」
 の証言でわかる。
 追われる立場は常につらい。前人未踏の道の先はいつも暗夜行路で誰も道しるべを指し示してくれないのだ。
 一方、負けて元々の立場の選手は、強者をひたすら研究し尽くして必勝の形を作っていける。まあ、その実、日本人としてはその努力がみのらない間に吉田選手に優勝勇退してほしかったというのが本音だが・・・

 向かうところ敵なしだった項羽はそのたった一度の敗戦で滅んだ。だが、スポーツの世界では敗北が命を取られるわけではない。敗れて引退するかどうかは本人の意志ゆえ微妙だが、たとえ現役を退いても指導者としての道が残されている。
 
 もし、彼女が指導者になるのであれば、この敗戦は天からの贈り物ではないだろうか、と私は思う。
 
 教え子たちは無数の敗戦の中から立ち上がってくる、負けた悔しさの中からである。負けた者をどう立ち直らせていくか。その点、指導者が絶対強者のままだと、その教え子たちの気持ちは終生わからないことだろう。項羽のように、おのれの力のみ信じる者は必ず滅び去る。
 
 強者なら敗戦から学ぶこと、悔しさをバネにすることなどは二の次で、勝てるようになるまでひたすら練習しろの一点張りになる可能性もある。
 
 以前も記したことがあるが、外科界でも、失敗にこそ教訓が埋まっているのだ。全く失敗しないメスの天才はいたとしても、優れた指導者になるとは限らない。

 吉田選手は不敗神話のその背中を見せて、あこがれる後輩たちに金メダルを取らせた。そして、今度は敗戦の悔しさを知った彼女が直接指導するとなれば、日本女子レスリングがさらに最強のチームになる予感がふつふつと湧いてくるではないか。そうなれば本当に嬉しい。

 話はかわるが、

 剣の世界でも「百年に一度くらい」絶対強者が生まれると、ある著作の中で司馬遼太郎氏は書いている。もちろんそれでも努力は必要だし、また経験者によると剣道では才能よりも努力が報われやすいスポーツという認識らしい。
 誰でもきちんと努力すれば五段まではたどり着くそうだ。しかしその上を目指すとなれば、天分が左右するという。将棋や囲碁に通じるものがそこにありそうだ。

 絶対強者そのものには天来の才能があふれており、並の人間にはこれら絶対者を倒すことは難しい、と言われる。
 
 昭和初期の話だが森寅雄という剣士がいた。彼が絶対強者という証しは弱冠17歳で剣道の国体個人戦優勝というキャリアでも明らかであるから、剣におけるその天分は尋常ではない。

  しかし彼は何を思ったのか、23歳の時、剣道と日本を離れ、新天地を目指しアメリカ、カリフォルニアに単身渡った。
 かの地では剣道などはなく、養蜂業の下働きとして勤めた際、手製の木刀を振っていると、アメリカにも剣道に似たスポーツがあると農園主に教えてもらった。
 
 それがフェンシングであった。
 
 森は近くのフェンシング・クラブに連れてってもらってルールを聞き、試しにそこにいた選手と立ち会ったが瞬く間に5本取られた。負けたことすらわからないくらいの瞬間のできごとで惨敗だったという。
 
 剣の天才・森は口惜しかったのだろう。
 
 フェンシングと剣道の違いを徹底的に追求し、フェンシングの入門書である手引きだけ読み込んで我流の練習を積み、1ヶ月後そのフェンシングクラブに再び乗り込み、今回はただの一本も取られず、次々にクラブの強い選手を倒した。
 リベンジの道場破りをし終えた森は勝ちにおごらず、その後も一人で自己鍛錬を積んだ。

 驚くべきことに、最初にフェンシングを覚えてからわずか1年後、南カリフォルニア大会に出場し、あっさり優勝してしまったことだ。
 
 そして、南カリフォルニア代表として全米選手権の権利を得て出場。
 そこでは準優勝だったが、決勝戦の判定が人種差別によるアメリカびいきによるもので試合内容は森が圧倒していたという。
 このころ日米関係は戦争前夜の最悪な状態をむかえていたからだ。
 ところが、実質、全米チャンピオンとしての「日本人タイガー・モリ」(寅雄ゆえタイガーと呼ばれた)の名は全米にとどろいた。その後もアメリカフェンシングでは絶対強者であった。
 
 1940年彼が26歳の時、東京オリンピックでの日本人としての金メダルを期待されたが、第二次世界大戦のため東京大会は中止、同時に森のメダルは幻となり、日系1世の彼はその翌年からアメリカの敵国民ということで4年間収容所暮らしになった。
 
 彼はその絶頂期に五輪に出られず、悲劇の剣士として人々の記憶に残った。第二次世界大戦敗戦後、森は日本を訪れた。破壊尽くされた国土と人々を見て日本はどこにもなくなったと痛感した。彼はそうなった以上はアメリカで日本の心を残そうと考えた。
 
 再びアメリカに帰り、カリフォルニアの地に「アメリカ剣道連盟」を設立し、細々とその運営をしていた彼を今度はアメリカ・フェンシング界は忘れていなかった。
 
 森をフェンシング全米チームの指導者として招聘し、1960年ローマ、1964年東京、1968年メキシコと三回のオリンピックチームを率いた。
 3大会でメダルこそ銅一つと戦績はそこそこだったが、フェンシング界はタイガー・モリの功績を高く評価し、後々のことになるが、2013年国際フェンシング連盟は日本人として初めて森寅雄を殿堂入りさせた。
 
 森のフェンシング人生は完膚なき負けからスタートした。そして、全米選手権決勝での敗戦、剣歴の絶頂期に収容所暮らし、常にマイナスの状態だった。
 しかし、その拘束暮らしの中で
 「私はアメリカに来て孤独を知った。その孤独が武士道を体で会得させた。日本にいたままなら決して武士道を知ることはなかっただろう」
 と述べている。
 フェンシングを教えきった、その後の森は再び市井の人に戻り武士道と剣道をアメリカ人に教える道場主になった。
 
 彼が設立した北米剣道連盟は確実に実を結び、全米剣道連盟に発展し、その後、剣道は国際試合ができるまでこぎ着けることになる。彼は剣の指導者としても超一級と言い切っていい。
 
 しかし、悲運というのはどこまでもついて行くのだろうか。

 世界剣道選手権大会が初めて実現する運びとなったその1年前の1969年のことだった。森寅雄は心筋梗塞で急死した。まだ54歳の若さだった。
 
 その年の1/8夜、ロサンゼルスの道場で居合抜きを実技している最中、真剣を抜刀した瞬間、森は倒れた。苦しまず即死だったという。
 弟子の言葉によると
 「普段は決して笑わない先生だったが、倒れた時は笑みを浮かべていた」
 という。
 森は剣道の世界大会開催を見ずに逝ってしまったが、その人生に満足を覚えていたに違いない。

 人は逆境や敗戦から、大きなものをつかみ取る。敗北は精神的にも肉体的にもストレスだろう。だが、それが大きければ大きいほど後に実を結ぶ。甲子園でも勝者は常にただ一校。そのほかの学校は日本全国津々浦々すべて何らかの試合で敗れた学校だ。
 
 敗れたものはそれを糧にまた切磋琢磨する。敗者が勝者より大きなものをつかむのでなければそのスポーツは衰退に向かうだろう。
 森寅雄を見てもそう思うし、吉田沙保里選手にも私はそれを期待するものの一人だ。

 銀メダルを胸に彼女が帰国した際、満面の笑顔だったことに安堵を覚える。東京五輪に挑戦するもよし、指導者になるもよし。国民は彼女に責任を負わせるのでなく、見守っていこうではないか。結果はどうなろうとも私は切にそう思う。

 余談だが、それにしても格闘技やマッチゲームの銀メダル受賞者はいつも表彰台で暗い表情だ。
 3位である銅メダリストは準決で敗れはしたものの決定戦で勝ってメダルを獲得しているから、晴れやかだ。金メダリストは言うまでもなく勝って終わっているので嬉しいに決まってる。
 
 銀のみ負けてそこに登るのだ。吉田選手ならずとも皆忸怩たる思いであろう。
 
 陸上、水泳などのタイムレースはおのれの力との闘いだから、口惜しいだろうが2位でも納得なのだろう。現に陸上400mリレーの日本4選手の銀メダル獲得はあたかも優勝したかの如くの喜びようだった。もちろん、私も嬉しい。

 マッチゲームでの表彰式は試合後すぐでなく、銀メダリストに思いっきり泣かせる時間は必要ではないだろうか、翌日に晴れやかな姿で戻ってきてもらいそこで表彰するとか。
 敗者に常に優しく接する「武士の情け」を知る日本の東京五輪ではこの銀メダルの辛さを理解し採用してくれないかしら、と思っている。
 

2016年08月05日金曜日「医学の進歩は生身にはキツイ」
 数多くある国家試験の中で難易度が低いと言われて久しいものが医師国家試験である。
 合格率は常に90%以上あり、確かにほかの試験に比べ、この合格率ではむしろ落ちるのが難しいのではとかんぐられてもしかたがない。
 ちなみに司法試験は20%強、公認会計士試験は10%ほどの合格率だ。
 
 医師国家試験は特殊な事情がない限り医学部卒業者しか受験できないので、逆に考えれば医学部に合格さえすれば、後は90%の確率で医師になれる、と単純に考えても間違いではない。
 さらに、医師になるためには、医学部に入りやすい高校・中学に入学できればぐっと確率が上がると、世の風潮が受験勉強前倒しの考えになっているのは致し方ないところだ。
 
 ところで、最初に国家試験はやさしい、と書いたが、それはその受験者個人にとってたやすいという意味だ。すなわち、医学部を卒業できる力量が備わっていれば、簡単だといいかえることができる。
 医学部では膨大な知識を詰め込まないとそもそも卒業はおろか進級もできない。
 
 6年間ある大学生活の中、科目ごと行われる定期試験はすべて合格点を取らないと進級できない。一つでも落とすとダメである。文系大学でありがちな「捨て科目」は存在しない。仮進級でその一つを取り戻す方法などなく、どの医大でも留年となり、せっかく合格点を取っていてもその学年の全科目の再履修が義務づけられる。
 また、4年終了時には臨床実習(病棟や外来で患者さんをDrと一緒に診察する)ができる知識を得たかどうかのCBT試験とOSCE(オスキー)試験を受ける。
 CBTはプールされた問題からネットを通じてランダムに出題され、一人一人異なった400問が出題されるため、覗き込むなどのカンニングできないようになっている。
 オスキーは診察態度、手際、手技、言葉遣いなどをチェックされ、どちらも合格しないと臨床実習ができない。
 自動車運転免許の仮免試験のようなものだ。
 
 このCBT・オスキーは2005年以来の医学部・歯学部でスタートしており、当然私は経験していない。最近の若い先生ほど優秀で患者さんに対して態度がよろしいのはきっとこの試験のためであろう。こうなると在学中と卒業後の二度国家試験を受けるようなものだから、その準備のための負担たるや大変なものだろうと想像できる。
 
 私の時代ですら、なかなか暇を見つけることが難しかった学生時代だが、最近の医学生は気の毒なほどの過密なカリキュラムや覚えるべき知識量の多さに果たして大丈夫なものだろうかと考えてしまう。
 医学部にも運動部があり、私も参加していたが、当時でもわずかな時間の放課後を利用しての部活動もほとんどの学年で実習が食い込んでなかなか全学年そろわなかったものだ。
 もっとも時間のかかる解剖実習などは一度部活動に参加して、日が沈んでから再び解剖室に戻るという有様。私の大学は田舎で医学部の校舎の裏がグランドだったのでそれも可能だったが、都内のビル医大などは運動部の活動場と医学部が離れていることがザラだから、部活動で夕方往復するなどそもそもできないのかもしれない。

 私の頃はそれが普通であったが、田舎の大学でも果たして今は部活動できているのか心配していたら、元気な後輩たちは一生懸命やっています、と文集を毎年送ってきてくれている。頼もしいものである。端から見てつらそうでも、置かれている本人たちは勉学と運動部の両立、苦行(?)に慣れっこになっているのかもしれない。

 私の専攻は外科学だが、医学生は外科志望だろうがそうでなかろうが、すべての科目を勉強しなくてはならない。
 外科学はこの30年の間に最も激変した部門の一つだろう。いわゆるパラダイムシフトと言われるものだ。
 
 腹腔鏡手術など影も形もなかった手術法も、現在ではもはやスタンダードとなって大学病院でなくともできるようになって久しい。胎児に異常が見つかったら、胎児手術もまた同じく新しい手技だ。そして手術支援ロボットも登場した。
 当時、手術と言えば患者に麻酔をかけ、皮膚をメスで切り、大きく開けてから臓器をさばくことを意味していたのが当たり前だった。しかし、一人の外科医がこの多様性についていけるのかどうか。これからは外科医の評価を現す「メスさばきのうまさ」という言葉は死語になるに違いない。

 また、30年前では肝臓癌はウイルス感染をきっかけに発病することはうすうす常識化していたが、その大部分がC型肝炎であるとは当時まだわからなかった。
 私たち医学生はまだ発見されていなかったこのC型肝炎を「非A非B肝炎」と習っていた。「Aでもない、Bでもない謎の肝炎」という意味だ。そしてその謎だったC型肝炎は現在では白日の下に解明され、治療も当時魔法の薬と言われたインターフェロン(それでもあまり効かず、発熱やうつ病の発症に苦しんだ人も多かった)を使うことなく、錠剤の内服薬だけでウイルスを排除できる世の中になっている。
 C型肝炎が撲滅の方向へ向かえば、肝臓癌はこれからは激減することであろう。大変、喜ばしいことである。
 
 また当時は胃癌や子宮頸癌も実は感染症とは知られなかった。
 胃癌の大半はヘリコバクター・ピロリ菌の感染によって引き起こされ、子宮頸癌もヒトパピローマウイルスによって起こる。
 癌が感染症だったという現実は私どものような古い外科医にとってショッキングで肺癌や大腸癌は今現在でも感染が原因とはなされていないが、もともと菌に冒されやすい臓器ゆえ大量の菌に埋もれてまだ原因ウイルスや菌が判明されていないだけの話かも知れない。
 
 実際、大腸癌と関連の深い潰瘍性大腸炎はいろいろな研究により菌の作り出す硫化水素(イオウのあの腐った卵のような臭い)が原因の一つではないかと言われている。それが立証できれば高率に大腸癌を発癌する潰瘍性大腸炎の存在から、「大腸癌も感染症」と言える日が来るかもしれない。

 我々外科医は癌を手術すると、術後まだ手術着を着替えもしないうちに切除した臓器からリンパ節を切り離す作業もしなくてはならなかった。それは今でもそうであろう。
 それが大事なことというのは、どこまで癌腫から離れたリンパ節転移があったか、それも癌の重要なステージの決定要因だからだ。
 だいたい長い手術だと着用するラテックス手袋も少し伸び気味で、指のごつい私などはなおさら指先のゴムがゆるんでくる。リンパ節の取りのぞきなどは本来なら手袋を取り替えてやるべきなのだが、めんどくさいのともったいないという昭和生まれのケチな了簡で(笑)そのまま取りかかることがほとんどだ。

 リンパ節は「豆」と呼んでおり、指先でつまんだりハサミで浮かせたりでその下をちょんと切って、だいたいは臓器の絵が描いてあるプラスティックのプレートにリンパ節があったところと同じイラストの上に丁寧に並べる。作業中、ご想像の通りだがどんなにどんくさい外科医でも指先を切るヤツはまあいないが、大抵はゆるんだゴム手袋も一緒に切ってしまう。夢中で「豆とり」を繰り返していると、終わってびっくり、手が血まみれになっているのだ。もちろんケガしたのではなく切れた手袋から臓器の血が入ってきたものだが。
 まあ、よく洗えばいいかと当時は考えていたのだが、もし癌が感染症だとわかっていれば絶対手袋を切らないようにしていたに違いない。手袋を破ってしまえば、もともと自分の指先に傷でもあったらそこから感染してしまうではないか。くわばらくわばら・・・

 古くから外科医は自分の専門に研究している病気で命を落とす、とまことしやかにささやかれていたが、そのからくりがタダの感染症だったとわかる日がそこまで来ているのだろうか?私も危ないことを平気でやっていたものだ。
 
  また免疫・遺伝子学の進歩が抗癌剤をもまた劇的に変えていった。
 癌細胞を特異的に倒す薬は私たちの時代はなく、癌細胞は増殖が速いため細胞増殖を抑える薬が圧倒的で、投与すれば当然健康な細胞もダメージを受けることになる。抗癌剤で髪の毛が抜けるのも毛根は比較的細胞分裂が活発なため、健康な細胞のうち最も影響が出やすいことはうなずける。
 
 しかし、最近は分子標的薬(癌ミサイル療法と呼ばれる)といって、癌のみが持つ特徴を遺伝子的に解明し、それのみを攻撃する抗癌剤が主力となりつつあり、さらに近年「免疫チェックポイント阻害薬」という画期的な抗癌剤も登場した。
 
 癌があれだけの塊になるまで、いや、なっても免疫細胞の攻撃を逃れているのは何か特別なシステムがあるのでは、と研究を重ね、ついに「免疫チェックポイント」というキーにたどり着いた。
 癌細胞のように無秩序でかつ異常に増殖する細胞は体の防衛軍である免疫細胞のアラームに触れ、癌が生まれたばかりなら各個撃破され簡単に倒されてしまう。学説によると毎日5000〜1万個の癌細胞の卵を免疫細胞が一刻も休まず葬り続けている。そこからただの一つの細胞だけでも逃れることができればイコール発癌するということだ。
 
 それでは逆になぜ、その最初はたった一つだけ癌細胞は生き残っていたのかと言えば、その悪逆なヤツは免疫細胞のアラームのスイッチを切る触手を持っていたことがわかった。それで警察機構である免疫細胞はおとなしくなってしまう。
 それならば、癌の持つそのスイッチを壊してしまえば再び免疫細胞は癌細胞をやっつけてくれるのではないか?と考えられ、生まれたのがその抗癌剤である。このスイッチを1992年発見したのが京都大学の本庶佑(ほんじょ・たすく)教授だ。この発見の後、スイッチは複数あるらしいことも突き止められ、現在全世界でもその他のスイッチ探しがトレンドになっている。この免疫チェックポイントの発見もノーベル賞に届くのではないかと医学界ではみているが、そうだったらまたまた大変嬉しいことだ。

 さて、この最初の本庶教授が発見したスイッチはPD-1と呼ばれ、このスイッチに結合する薬を開発したところ、驚いたことにもう手遅れである、とされたステージの癌患者にも効果を発揮し、抗癌剤治療を根底から覆す可能性も秘めている。
 ただ、マスコミでにぎわせた通り、この薬はとてつもなく高価で、もし適応のある癌に保険治療を開始したら(理屈からはすべての癌に効果はあるはず)高騰する医療費で国が滅んでしまう可能性もあるくらいだ。また、劇的に効くケースも大半だが、全く効果のない患者も3割くらい存在する。今のところその結果を事前に予測する手立てはないが、急ピッチでそのマーカー(指標となる物質)探しが各製薬会社・研究機関でしのぎを削っている。まさに日進月歩、想像以上のスピードで医学は進んでいる。
 
 医学生はおろか私たちも困ったことに今までの常識はすべて忘れていい、というわけではなく、それに加えて新しいことを覚えなくてはいけないということだ。
 これを試験で試されるというのはたまったものではない。誠に医学の進歩は生身にはキツイものがある。
 
 人体の秘密という教科書があったとして、最後のページまで読み込めば謎はすべて解明されると仮定しよう。我々の時代は序章か第何章までしか読み込んでいなかったのが、この30年で教科書の後半部分まで肉薄したのではないか。そして、それまでの150年の外科が蓄積した歴史と知識量を大きく凌駕する手段と叡智が加わったと言っても過言ではない。

 期末試験で言えば、私たちの時代はその教科書1ページ目から10ページ目までが国家試験の試験範囲だったものが、現在は1〜50ページくらいに増えたというようなものか。さらに毎年新しい知見が加わっていく。これからは一人の医師が総合的にすべての人体の秘密を習うことは物理的に不可能になるのではないかと危惧している。

 専門性に偏れば偏るほど、学問的には進化、または深化するといいかえてもいい。しかし、この方向性をすべての医大で目指すとすると講義を担当する各専門医から自分の得意範囲を医学生に徹底的に教え込むとなるとされる方はたまらないのではないか?専門医は自分の守備範囲のみ研究していればいいので楽なものだ、と言ったら言いすぎだろうが。
 専門医からは「最新のこんなことも知らないと医師になってから取り残されるぞ」と言われても、聴く方の身は一つなのだからムチャである。

 私どもの時代でも医師国家試験に頻出される疾患は1万人に数人いるかいないかの珍しいものが大半で、おそらく一生診ることのない病気がほとんどだったであろう。逆に風邪だのインフルエンザだの国家試験はおろか学内試験でも問題になったことがないのではないか?
 また現在はその専門医でもならなくては一生関わることのない先進医療の知識もがんがん試験問題の俎上にあがるとなれば、卒後実際患者さんを診るようになったとき大学での試験勉強は大部分はムダであり、カルトクイズ選手権とあまりかわらないのではないだろうか?

 せっかく、医学部入試でもイキな問題が出るようになったのにだ。
 有名なところだと順天堂大学だ。今年の小論文の審査では一枚の写真を提示している。窓枠と少年のアップ写真だ。彼は手足と鼻をガラスに押しつけ一心に家の外の何かを見つめている。
  「1950年代のアメリカの写真家が撮ったものです。彼の目の前にどのような光景が映っていたか想像で800字以内で書きなさい」
 さあ、何を書けばよい?私が受験生ならなんと書いただろう。ちょっとワクワクする気もする。
 同大学では医師の適性をこうした情感をくみ取る機微を表現させることでペーパーのみ秀才を排除しようとしているのだろう。
 
 ところが、審査委員をうならせる文学的解答をした学生が晴れて医学生となったら、今度は真逆の詰め込み教育を受けることになるのだ。いくらなんでも整合性がないのでは?と思うのは昭和の牧歌的医学生あがりの私だからだろうか。

 私は若い人、特に医師になりたい人には今のうちに本を読め読めといつも言っている。いざ医学生になったら、ましてや研修医になったら、自分の趣味の時間など全くないと言っても過言ではない。ポケモンGOは大人になってもいつでもできる(笑)
 医師というのは、9割以上の人が対人職業に就くのだ。ひたすら医学知識の詰め込みだと決して身につかないものが対人関係だ。そこで、小説や本を読んで他人が何を考えているのか、こうした考えもあるのかをその都度体の中で作り上げることが医師になる前の大仕事と私は考えている。

 この現状をふまえて、臨床医師養成大学と研究医師養成大学と分けて教育した方がなんぼか国民のためになるのだろうかと思ってしまうが、どうなんだろうな。進路の強制はできないし、医学部の成績で分けると差別が生じるし、そもそも医大を増やしたところで資質は落ちるし、難しいところだ。

 アメリカの医師国家試験はユニークで三段階の医師試験があるが、その内ステップ1の基礎試験、ステップ2の臨床試験はどこの国の医学生でも、アメリカに来なくてもまた好きな日に受けることができるという日本からみたらびっくりするようなシステムである。そう、まるでTOEFLのような感覚だ。しかし、いざ病院採用の医師となると臨床能力とコミュニケーション能力が重視されるからペーパーテストに受かるは受かったが、わざわざ「下手くそな」「しゃべりもアヤシい」外国人医師を採用する必要がないから、我々にとってはかなりハードルは高くなる。だが、これはアメリカ医学生も外国人医師と競争することになるので外圧によって国内の医師の力量を上げようと考える自由競争社会のアメリカらしさゆえだろう。
 もちろんこれがすべていいとは言わないが、ますますグローバルにますます深化する医学界は今の日本の医師養成制度を墨守するだけでは、地盤沈下的に落ち込んでいくのではないかと危惧してしまう。

 だから、私は人間力を見ようとするあの写真の小論文方式を高く評価する。私だったらどんな採点しようかな、現代の医学部の受験生の心中を垣間見たいとも思う。

 そう、いつかも書いた覚えがあるが、医療の根本は「手当て」であると信じているからだ。愛する人が痛いところをさすってくれるとそれだけで癒される。苦痛も、そして手の施しようがなくなった際はどんな医学的知識よりも「手当て」が優ると思ってもいる。医学部では決して習わないけれども。

2016年06月26日日曜日「罪なきもの、石を持て打て」
 コラムを再アップして気づいたのだが、時事ネタはやはり風化が激しい。その時、一体何のことを記したのか、読み返してさっぱりわからない。
 新聞や雑誌の論説社説なんぞものは所詮そういうものなのであろう。普遍性・永続性という概念からほど遠く、真逆に位置している。
 そうは言っても、この数週間、よくもまあメディアが朝から晩まで報道したものだ。まさに劇場と言っていい。まんま時事ネタで恐縮だが、それというのは桝添都知事の公私混同問題だ。
 もうすっかりニュースは英国のEU離脱にシフトしてしまったが。これとて数日間で賞味期限切れだろう。

 さて、都知事の公私混同問題である。
 これがまた辞職に追い込むまで、報道を繰り返す。報道されるからというわけではないだろうが、都議会も議題そっちのけで都知事を糾弾する。彼がやったことをかばうわけでは決してないが、やりすぎではないか、議会はほかにやることはないのかと考える人はいなかったのだろうか?
 
 中国のことわざの「水に落ちた犬をたたけ」そのもののようであまり気分の良いものではない。しかし、視聴率に敏感なTV局はこの件を扱うと「数字」がとれると息巻いたそうだ。とすると、垂れ流した電波を喜んでみている私ら庶民がみな「たたく」のを望んでいたに相違ない。お前はみなかったのか?と言われれば、ニュースであれだけ報道しているので断片的とはいえ、見たといえるが。

 そもそも、これは辞めなくてはならないほどの不祥事なのか?
 
 なるほど、公私混同で家族旅行も家賃も子供の漫画代までなんでもかんでも政治資金というのは納得がいかない。また、公用車使い放題も不適切に違いない。だが、自分の趣味や家族のために使うものなど、実にわかりやすくて可愛いものではないか。まだ隠されているものが暴かれればともかく、私には国会議員の巨悪の方がいくらでも眠っているような気がするのだがどうだろう。

 国政の議員などはちょっと調べればわかることだが、政治資金の収入は法律で厳しく制限されている(抜け穴が多くザル法ともいわれているが・・・)ので、政党助成金からの政治活動費が割り振られている。
 こちらだって支出報告の義務は5万円以下はないから、たとえば税込みでヨンキュッパの家電は買い放題で絶対わからない。
 また、3万円のガソリンのプリペイドカードを政治活動のガソリン代として経費で大量購入しても、政治活動に使ったと言えばそれは通る。しかし、それらを換金ショップでゲンナマに変えたら闇金となり、今度は何に使ったって報告の義務はない・・・。
 という疑惑も最近持ち上がっていた国会議員もいたが、なんだかうやむやになった。これは比較的わかりやすい例だが、名画だの土地だの使ったもっと複雑なマネーロンダリングしてそうな気がしてならない。
 都知事はダメでこっちはいいのか?やることが国会議員の方がわかりにくくてあくどいと感じるのは私だけではないだろう。

 私はキリスト教徒ではない。だが、こういうときはこの話をいつも思い出す。

 不義姦淫の罪を犯した女性を群衆が取り囲み、騒いでいたところをイエスが立ち会った。律法学者がイエスをおとしめようと意地悪な質問をした。
 「モーゼの法では姦淫の罪は石打ちの刑とされているが、あなたはどう思うか」
 これは難題であった。
 そのときエルサレムはローマに支配されており、罪人を裁くことはローマ司法の権限でユダヤ人であるイエスが同胞と言え勝手に裁くことはできない。
 だが、ユダヤの教典でもあるモーゼの律法には確かに姦淫の罪は石打ちとされていたのだ。石打ちを命じれば、ローマの反逆者になり、許せばユダヤのモーゼの律法に反する。
 どちらを選んでも糾弾されることになり、まさにイエスは窮地に陥ったことになる。

 しかし、イエスはまったく困らずこういった。
「あなた方のうちで罪のないものが最初に石を投げなさい」
 騒いでいた群衆は声をあげることもできず、一人去り二人去り、結局誰一人として石を持つことができなかった。

 これが「罪なき者、石を持て打て」の話である。

 誰でもいい。私でもあなたでも、いままで公私混同を一度もしたことのない人がいるのか?

 定例会見であれだけ糾弾した記者たちは自分たちの取材費で何か私的なものを落としたことはないと胸を張って言えるのか?
 議会で石を持って打った各党の都議たちは自分たちの政治資金の使い方に全員一点の曇りもないのか?
 だからといって、都知事を追求しなくていいということではないのだが、ちょっといたずらをした子が絶対に謝らないのを回りの大人がよってたかって「悪いことは悪いと謝りなさい」と頭に手をのせてぐいぐい押している姿を連想しているのは私だけだろうか。

 人間は弱い生き物である。甘い誘惑に引き込まれない人もいるが、ちょっとしたうま味が吸える立場になると、ついつい手を染めてしまう。それが、うまくいくと罪悪感も薄れ慣れて次第に麻痺し大胆になる。あたかも麻薬中毒のようだ。時折思い出したように報道される毎度の金融機関での使い込みや横領も発覚したときはトータルでとてつもない巨大な金額になっているのがその証拠でもある。

 また人は自分に似た人を嫌悪する。
 桝添都知事のあのセコい公費の使い込みはともすると庶民の感覚で、おおやけの場で追求されるのを見ると、スネに傷を持つ人には自分の恥を見るようでいたたまれない。
 だから、「早く辞めてくれ」と叫ぶのは義憤からの正義感や公人としての倫理観のなさをあげつらうだけでなく、自分とどこか似たところのある人で、なおかつ「自分は悪いと思っていない」高慢な態度を見ると目の前から排斥したくなってしまうのだ。これもまた人情である。
 
 だから、辞めてしまえばもう追求しない。疑惑の解明はされず、と批判されても記者も都議も誰ももう見向きもしない。それはそうであろう、辞めさせる「ために」したパフォーマンスなのだから。もし、疑惑が明らかになればなるほど、ブーメランとなってあやしい金の動きを操作したことのある都議は自分もやり玉に上がるだろう。第一、大名旅行と言われ、ファーストクラスで視察旅行を同行した都議と職員は沈黙しているではないか。

 桝添都知事はあれだけ頭の回転の速い人だと思うから、自分の不適切の行動は罪に問えないことは瞬時に悟ったことだろうし弁護士にも確認しただろう。
 それなら、一番最初に「すみません。知事として舞い上がっていました。以後気をつけます」と謝ってしまえば、本人の言うところのやりたかった都政の継続だの五輪だのは、できたのではなかったかと私は思う。
 あの自滅劇は彼のプライドの高さと庶民感覚との意識のずれの読み違えが大誤算だったとしか思えない。

 そもそも論だが、都民にとってこれは得だったのか否か。
 ケチくさい使い込みを追求するだけしておいて、都知事に「もうしません」の言質をとって、これからの言動を見張ればどんな厚顔無恥な人でももはや同じことはするまい。それで、全身全霊で都政を進めてくれるのなら、それこそが都民のためではないか。
 巨大な選挙費用をかけて、都知事を選び直す、それだけのメリットはあるのか?
 
 考えてもみてください。現都知事が辞めると決めた日からたった1ヶ月以内に仕事も身辺整理(スネに傷持つ人は今回は絶対に無理だろう)もケリをつけ、都政のプランとグランドデザインを持ち、選挙費用も捻出できるようなそんなスーパーマンのような人材が今までどこに眠っていると思いますか?
 公務員なら失職してからでないと立候補できない。落選したらプータローになってしまうから、そんなリスクは負えないだろう。
 すると、芸能人か作家のような自由業、アメリカ共和党トランプ氏のような会社オーナー、在野落選議員か選挙に強い現職国会議員、公務退職後知識人くらいしか候補はいないではないか。

 政治家の力量と倫理感は比例しない。倫理感はもちろんあるに越したことがないが、それを踏み外した件で罪に問えないことがわかれば辞職する必要はない。
 どうしても許せないと思えば、そういう条例や法律を作るべきだし、それが法治国家のあるべき姿だと私は思う。それをする仕事を与えられている立法府の議員はやはりそれ以上都知事を追求しきれない「うしろめたい」行動をしていたに違いない。

 以前のコラムで(「出でよ!30代」参照)紹介した戦後の鳩山一郎内閣を支えた幹事長・三木武吉は5人の愛人を持っていた。
 中国の前漢の名宰相・陳平は兄嫁と密通するだけでなく賄賂も際限なく受け取っていた。しかし、彼らはいずれも大政治家である。共にスキャンダルで辞めさせられていたら、日本と中国の歴史は変わっていたかもしれないほどの人物だ。

 フランスのミッテラン大統領が就任した際、記者に「愛人と隠し子がいますよね」と尋ねられた。
 大統領はすかさず「それが、なにか」と答え、記者が絶句した話は有名になった。
 大統領がその言葉の後に「政治能力と関係しますか」と訊きたかったのを飲み込んだに違いない。

 明治維新の元勲、井上馨は司馬遼太郎氏に言わせれば、
 「公の持ち物と私の持ち物がわからない、天性汚職の人だった」
 と記されるほどの人だった。ネットでも本でも簡単に調べられるくらいわかりやすい賄賂と汚職まみれの人物だ。
 同時代に活躍した高杉晋作もそれとあまり変わらない。海外視察費用を芸者をあげてどんちゃん騒ぎで使い込み、視察したらしたで後約束で外国から軍艦を買い付け、本人は知らんぷり。前述の井上馨はこの高杉を必死で守り通した。まあ、このおかげで長州藩は幕府の攻撃をはねのけられたから、よしとしなくてはならない。

 彼らをふん縛って牢獄に入れるのはたやすかった。だが、長州藩は彼らの政治家としての才能を惜しんだ。そして、そうしていたら、日本の歴史はまた変わっていただろう。長州は維新の狭間でつぶされ、関門海峡にある下関と小倉は香港やマカオのごとく、ヨーロッパのどこかの国の租借地になっていた可能性は高い。

 野口英世博士にはその才能を信じた恩人が何人もいた。貧乏だった野口は彼らのおかげで上京でき、医学校に通えたことは間違いない。だが、彼らの支援金で学費や生活費を飲んだり遊郭で遊んだりで使い果たすこと数回。その金銭感覚はずさんの一言である。
 
 また、せっかく援助された渡航費用を遊興で使いこみ、困ったあげく箱根で知り合った医師希望の女性に近づき婚約し、本来なら結納をしなくてはならない立場だが、逆に「支度金」を実家から頂戴しそれで渡米した。
 その後、先方からいつ結婚できるのかと再三アメリカに手紙で問い合わせが来るが、野口は無視し、研究が忙しくて帰国できない、とつれない返信。結局、野口は恩人の一人、歯科医・血脇守之助に頼み込み、彼が支度金を立て替えて野口は婚約を破棄した。
 
 研究における業績と努力は千円札の肖像になるくらいの偉人であることに間違いないが、私生活の倫理感は誉められたものではない。一歩間違えば結婚詐欺である。
 だが、血脇は野口の才能を惜しんで、野口が成功するまでは精一杯援助した。その後進をはぐくむ大きな心を持つ血脇はのちに東京歯科大学を作ることになる。

 どこか壊れた人間性を感じる野口だがこの血脇に対しては心温まるエピソードがある。ロックフェラー医学研究所でノーベル医学賞候補にまでなる業績をあげ名声をほしいままにした野口の晩年の頃である。
 血脇が渡米する予定だと連絡が行くと、野口は飛び上がって喜んで、研究や雑務も忙しい中、一生懸命歓待し血脇のアメリカ滞在中書生にもどったかのようにそれこそつきっきりで世話をした。
 アメリカ大統領にまで面会させ「私の恩人だ」と血脇を紹介した。
 感激した血脇は「ありがとう、野口博士。若い頃、君の世話をしたがこれで帳消しだ」と言った。野口は「恩義に帳消しはありません。人の恩をを忘れることなど決していたしません。生涯、清作と呼び捨ててください」と言葉を返した。

 血脇にとって野口のこの言葉は嬉しかったに違いない。金銭的援助も数々の尻ぬぐいも今までのことはこの一言でそれこそ帳消しになったことであろう。

 ある才能でもって業績をあげる人は聖人君子ばかりではない。それであることに越したことはないが、政治能力においては必須条件でないし、大概は天は二物を与えないものである。

 だから、都知事を許していいということではない。私たちは血脇のような大度をもっていない。だから、許すのではなく、機会を与え、今度こそ公僕としてその能力を都政につぎ込むことを約束させればよかったのに、という残念な気持ちが強い。

 そうは言っても清廉潔白な政治家は私は大好きである。何度もいうようだが、政治の要諦は聖人君子であることに越したことはない。

 その人は中国・後漢の人である。
 楊震(よう・しん AD54〜124)という大儒がいた。幼くして経典をそらんじ、現代の孔子といわれるほど才覚・人徳があった。
 長じて役人の誘いがあったが、母に孝養を尽くすという理由で断り続け、母が天寿を全うしてから50歳になって初めて州の役人になった。
 楊震はその後中央に呼ばれ、出世を続け、わずか3年足らずで司徒(後漢では首相・総務大臣の仕事)となった。

 しかし、時の後漢皇帝は暗君の安帝で、楊震は幾度も帝のその行動、施政態度を諫めるが、安帝に疎まれ最後は取り巻きの讒言で故郷に帰れと左遷の通達を出される。
 「私の仕事は終わった」と楊震は毒をあおって自決した。

 取り巻きたちは帝を侮辱したとして楊震の葬儀はさせず、彼の親族を庶民に落とした。

 翌年、安帝が崩御。継いだ順帝が即位すると先帝の取り巻きたちは左遷され一掃された。
 楊震の名誉は回復され、改めて葬儀を執り行い、親族は官職に復帰した。

 子孫は尊敬され以後四代にわたって中央の要職につき、はるかのちに隋を建国した楊堅(よう・けん 隋の文帝AD541〜604)は楊震の子孫と名乗っている。
 
 その楊震がまだある州の長官を務めていたときのことである。
 王密というものが深夜訪ねてきた。彼は以前ほかの州で楊震に推挙され世話になったことがあった。その恩を返そうと深夜、黄金10枚持って
 「あのおりは大変お世話になりました。どうぞお納めください」とさしだした。
 楊震は拒絶し言った。
 「これはどういうことですか、私はあなたのことをよく理解しているのに、あなたは私という人間を忘れてしまったのですか」
 「いいえ、よくわかっておりますが、どうしても恩返しをしたいのです。どうか、お納めください。夜中のことゆえ、このことを誰が知りましょう」
 すると楊震は短く言い放った。
 「天知る、地知る、我知る、子知る、何ぞ知る無しと言わんや」
 (天も知っている、大地も知っている、私も知っている、あなたも知っている、誰も知らないということはありえない)
 
 王密は恥じ入り退散したという。
 これが「四知」と言われる有名な逸話だ。不正はかならず露見するという時に使われる。(今回の都知事も四知が働いたのか)

 楊震は賄賂は一切もらわず、家族にも贅沢はさせず、高官になっても車馬にも乗らず質素に暮らし続けた。(領収書を操作せず、家族旅行も経費で落とさず、公用車も使わず・・・ということかな)
 ある人が楊震に聞いた。
 「あなたは財産をためて子孫に残そうとは思わないのですか」
 「財産は残そうと思わない。私がうそ偽りのない正直な人だったと言われればそれで満足だ。子孫がそれを誇れることが唯一の遺産だ。」

 世の中にはこういう人もいるのですね。しかし、現代でこういう人が選挙戦を勝てるかといえばそれは無理なのであろう。
 正直私もどうしたらよい都知事が生まれるかは皆目見当がつかない。選ぶ都民だってこの人は楊震のような正直者で有能な人だ、と短い選挙戦で見抜けるはずがない。
 
 いっそのこと、こういう非常事態は知事の残りの任期を国政のように議院内閣制をとり、都議の中から互選で臨時首長を選べばいいのに。そうすりゃ、議会の中でふだ入れするので金もかからんしな、と思ったりする。
 ま、地方自治法などいろいろ法律変えなくてはならんでしょうな。ああ、だれかよい方法を頭のいい人が考えてくれないかしら。
 さて、新都知事どうなることやら・・・

2016年06月06日月曜日「電子化がススム」
 クリニックのサイトをしょうこりもなく再び作り直した。

 いつぞやも後悔したのだが当然それは先に立たずである。簡単な操作でプロ並みのサイトができるという新しいメイキングソフトの触れ込みにまたもやだまされて、始めたものがやっぱりといわんばかり手こずって難渋している。
 人任せにすればそんな悩みは解消するのだろうが、どうもこれは凝り性というか性格なので仕方ない。
 あれもこれも移植しようとすると、半端なく膨大なプロジェクトになるので、まずは愛着のある書き散らしたコラムを移動しようと試みた。
 ところがこれがまた、自己満足とも言えるが、手塩にかけたというか質は自慢できないがともかく量はものすごい。暇人なのかよくもまあつづったものだ。
 新しいサイトは実は骨子となるクリニックのメインの部分はとうに作ってあったのだが、このコラムの移植に時間をとられてアップまで時間がかかった。なんとか体裁を整え「アーカイブ」として保存したが、その苦労の割にはあまり報われない作業だったようだ。
 でも、せっかくなので、皆さんたまには訪れて読んで行ってください。そして、新しいコラムもぼちぼちアップしていきます。この2年間はなかなか暇がとれなかったが最近はというと勤務も私生活も少し安定してきて、パソコンに向かう時間も少し取れるようになった。
 
 好きな本はというとメインの読書時間はやはり通勤中になるが、どうも坐ってしまうと「おちて」しまうようだ。文字通り本も落としてしまいこれがまた派手に転がっていくので、吊革のひとさまにぶつかりそうで迷惑がかかる。
 回りはと見ると、ほとんどの乗客がスマホいじりをしている。
 読書派は1〜2割程度か、新聞派はまるで見られず、パッドで新聞を読んでいる人をたまに見かける。それもわざわざ新聞のレイアウトでフリップしながら読んでいるようだ。それなら新聞買った方がよかないか?とか、そのレイアウトでなくても見出しから本文読むのが楽なのでは?と余計なお世話のツッコミを心中でしている。
 読み終わった新聞はポンと網棚(昔は本当に網だったなぁ)に乗せておけば「もう読み終わりました」とのサインでこれを誰が読み、持ち帰っても問題なかった。これはこれでエコである。網棚(今もそう呼ばれている。枕木も木でないが、それでいいらしい)はもうほとんど使い道がなくなってしまったようだ。さて、そんな、なんでもかんでも電子化でいいんだかなんだか、興味深いニュースが一つあった。ま、これもスマホで見たのだが(笑)
 
 千葉県柏市で電子母子手帳の配布が始まったそうだ。

  柏市のサイトでも確認できるが、なかなか評判がよいとのこと。母親学級のお知らせから始まり、母体健診、マタニティの心得ももちろん配信してくれる。赤ちゃんが生まれれば、身長体重を記録し、成長曲線も描いてくれるし、子供の写真も貼り付けられるからご両親は子育てに大変やりがいが生まれるだろう。打つべきワクチンの時期が来たらのお知らせも嬉しい。良いことずくめではないだろうか。

 手帳は読み手が積極的に読まなくては情報が得られないし、また紛失したら、今までの健診歴はおろかワクチンをどこまで打ったなど、再発行を含め大変な騒ぎになる。
 しかし、電子母子手帳なら行政側も同じものをサーバに記録把握しているため、スマホの紛失はもちろん、機器買い換えなども問題なく再送信してくれれば元通りになる。問題の個人情報であり、本人の認証がカギだがそれはフェイスブックのアカウントやgmailの個人同定でするらしい。まあ、役所にハッカーでも侵入してそれらのデータを流出や破壊などしなければ大丈夫だろうが、芸能人を含め、有名人の子弟は興味本位で狙われるだろうから、ちょっとびくびくものかもしれない。それにしても、そんなところに目をつけ、母子手帳のデータを破壊して喜ぶハッカーは人でなしと言わざるを得ないが・・・
 
 そのシステム、ここ新座4市でも始まらないのだろうか。

 岩手県では数年前から、コンピュータ周産期管理がされており、先の東北大震災でもしっかりデータは残っていて母子手帳の再交付が簡単であったと聞く。
 熊本・大分地震もあったことだし、たとえ役所が崩れ落ちたとしても、ネットワークのどこか端末が生き残っていれば母子のデータを引き出せる。
 関東地方なら人口もバカにならなく多いので、大事な医療データをなおさらデジタル化するべきであろう。あくまでもセキュリティは万全にかけていなければならないが。
 
 いつかもコラムで書いたが、電子化が進むといろいろな医療シーンで役に立つと想像がつく。 検査の値やレントゲン写真をオンラインでクリニックと大学病院で共有するなどは当然として、当クリニックではしていないが、訪問診察などはPad一つ持って行けば紙カルテの必要はなく、病状がかんばしくないと判断した患者さんを入院移送する際も、データをすぐ提携病院などに転送できる。
 
 間違っていればもうしわけないが、こういうことをユビキタス社会というのだろう。
 ユビキタスとはラテン語で「いつでもどこでも、そこにある」という意味で個人を識別し簡便に使えるネットサービスのことだ。そのうち指紋認証や手のひら静脈認証で、本人認証の証明書などはいらず、お金も印鑑もいらず買い物をはじめとして行政サービスなどなんでもできる世の中がすぐそこに来ているかも知れない。
 
 今現在でも地下鉄などのターミナル、地下の駅間で支柱となっている円形の柱に、目を引く大ポスターを貼り付けてあるのをよく見かける。
 その光景を思い出していただければ想像しやすいが、未来SF映画「マイノリティ・リポート」で地下を歩く主人公の虹彩を防犯カメラみたいな機器で個人を認識して、その地下の柱にスクリーンが浮かび、その人だけが見えるコマーシャルを映すシーンがあった。これなんぞ究極のユビキタスなのだろう。
 
 だが、映画では追われている主人公にとっては迷惑千万のシステムだったらしく、追っ手に存在を気づかれこの後ピンチが訪れるが、確かに誰がいつどこにいた、などのプライバシーは丸裸になってしまうに違いない。
 犯罪捜査では足取りを追うのは簡単になるかもしれないが、あるシステムが確立すると必ずそれを打ち破る方法があみ出される。防犯カメラも捜査に有用であることは周知の事実だがカメラの位置を逆手にとって犯罪を犯す卑劣漢も現れるだろう。現代でも、振り込み詐欺が高度化しているなどその一端ではないだろうか。
 
 脱線してしまったが、母子手帳のユビキタス化は歓迎すると先に書いた。であるが、昭和の生き残りの私としては少しさみしい気持ちもある。
 
 というのは、クリニックでも予防接種の際、私たちは母子手帳を拝見する。予防接種と言えば小学校までの幼児が定番だが、日本脳炎ワクチンの第二期接種は一時接種控えのすったもんだがあったので、キャッチアップのため現在二十歳まで公費で打つことができる。
 
 この時がおそらく母子手帳を最後に使うことになるだろう。

 20年近く大活躍しぼろぼろになった母子手帳。表紙も取れかけ、紙も黄ばみワクチンの記載欄はぎっしりとさまざまな医療機関の印鑑が押されて、文字通り子の成人への輝かしい成長記録である。そのお役目を終えた母子手帳は成人したあかつきにお子さんに手渡された時、感慨深いに違いない。
 
 まあ、そんなことをする家庭は多くないだろうが、私は壊れかかった母子手帳を見るたび、母の愛情を感じるのだ。
 小さいうちのワクチンの時はもちろん、お子さんが熱を出したと言っては手帳をバッグに入れ、あわてて小児科に駆け込むこともあっただろう。そんな几帳面なお母さんの母子手帳ほど損傷が激しい。

 逆にほとんどワクチンを打たなかったお子さんの母子手帳は概してきれいなのだ。まあ、ワクチンの数が愛情に比例するというわけではないだろうが、あまりお子さんの成長の過程に生真面目ではなかった可能性は大である。
 
 それが、すべて電子母子手帳になったら、見る方の私もそのような感動はもういだけない。無味乾燥なものである。そんなことどうでもいいだろう、と思われるかも知れない。便利さと引き替えにそんな小さなことがひきあわないことは当然承知である。

 だが、医療界というのはほんの少しでも、わずかずつの感動を患者さんからいただいて成り立っているのだ。それは治療がうまくいった時はもちろんページが取れかかった母子手帳を見るときもそうだ。
 
 野村総合研究所が予測をだしているのだが、10数年後には現在半分の人々が就いている仕事がAIに取って代わられるだろうとのこと。
 一般事務職、タクシー運転手、レジ打ち、警備員などは真っ先に機械に切り替わる。医療ももしかしたら拙作「20年後」のようなものになるかも知れない。(→試しに「20年後」を読む)
 
 ところが、数学者の藤原正彦氏は「人工知能はそんなにえらいか」と手記を出している。

  「確かにAIは将棋・碁などの頭脳ゲームで人間を凌駕した。だが、人間の機械に対する決定的優位は死である」と言う。ん?死ぬことが優位?なぜ?
 
 しかし、これは誤記ではない。藤原氏はこう続ける。
「人が有限の時間の後に朽ち果てる。だからこそ深い情緒が生まれる。死を経験せず理解しないAIに文学や芸術が創作できるか。まねごとはできよう。だが巧妙に作られたパッチワークにだれが涙を流そうか」という。
 数学者の藤原氏の面目躍如である。おそらく、新しい証明法はAIではできないだろうと思うし、芸術のくだりも私も全く同感である。
 電子母子手帳ももちろんよい進化だと思うが、冊子の母子手帳もまた残して欲しいというアンビバレントな心持ちでもある。
 
 人は感情の動物である。皆さんも病院で治療し「よくなりました。よく頑張りましたね」と機械に誉められるより、医師や看護師に言ってもらった方が、おそらく気分がよいと思う。私たちも常に深い情緒を忘れないように診療を続けなくてはならない。医療の大部分のところが電子化しても、やはり最後には「よく頑張りましたね」と声をかけたいと常々思っている。

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